遠慮深いうたた寝

『遠慮深いうたた寝』は友人が薦めてくれた小川洋子のエッセイだ。初め、文字を読み間違えて思慮深いうたた寝だと思っていた。うたた寝をするとき、何か思慮すべきことがあったのか、うたた寝するときでさえ作家は思慮するものなのかと思っていた。でも、少なくとも私よりかはたくさんのことを考えているのが、自分の好きな作家さんたちなのかもしれない。

 

小川洋子の本はまだ全部読めていない。でも、彼女のエッセイを最近読むのでなんとなくどういう話かは分かってきた。これをもったいないと思う時もあるし、早く読めたと嬉しいこともある。小川洋子という人は、なんとくなく理系的な人だと思っているが、エッセイを読むたびにそれは本人によって否定される。だから、ここは私が勘違いしていたということだ。正しくは、理系的ではなく、世界全体に目を向けた論理的な人だ。小説を彼女は、言葉で説明できない超越的なことを、論理的に書かなければならないと言っている(正しく引用元を探すのには、今日は疲れた)。

 

エッセイを読んでいると、同じような話はあんまりない。私が忘れているのかもしれないが、著書の話以外は大体新鮮に感じる。ちょっと前までは、彼女の言葉一つ文節一つ、内容全てに頭を垂れて拍手していたが、最近は少し頭を垂れずらくなってしまった。相も変わらず大方は好きなのだが、男女のステレオタイプと言えなくもないのぞまれた役割や、母性を語る言葉を見るとなんだかどうすればいいのかわからくなってきた。もう少し、考える時間が必要だと思う。

 

それでも、やっぱり今一番好き作家は小川洋子だ。遠慮深いうたた寝の中で一番好きな話は、フランスの小学校で彼女が話した彼女の名前である。彼女の洋子という名前の洋には広い海という意味があるが、結婚した人の名前は小さな川”小川”さんだったという話をする。日本語を知らないであろう、フランスの小学生にもこの話の面白みはわかる。この話を見た時には、やっぱり小川洋子はすげぇやという気持ちを持った。