16年間と線維筋痛症

なんとくなく繊維筋痛症なのでは、ここ数年の考えていた。そしたら、病院での検診でその病名が出た。納得と一緒に、5歳ごろから始まってこれからまた訳の分からない痛みに付き合わなければならないと思うと嫌な気分だった。元々寝違えて身体的につらいし、診断で嫌な気分になったから、夜の就職系講座も休んでしまった。

 

繊維筋痛症を調べると、涙が出そうになることがある。原因が分からない病なんてこの世の中にごまんとあるけど、日常を適度におくれる私にとっては、分からないことが本当に困る。一番困るのは説明。自分の身体的内部にしか痛みは出ないから、相手にとってなんでこいつが痛いといっているのかが分かりにくい。でも痛いものは痛いから、主張したくなる。次に困るのが、自分がおそらく軽度であることから線維筋痛症を多少知っている人に、疑いの目を向けられること。正直自分もよくわからないから、医者の言ったことをそのまま復唱すれば、よくわからないまとめ方をされる。「つまり人より痛みに敏感ってことだね」。そうだろうか。多分、違う思うのだけど自分に反論する理論もないからどうしようもない。

 

傷みを伝える神経物質を減らす薬を処方されたけど、これを書いている今も絶賛痛みが 継続中だ。お酒を控えなきゃいけない薬らしい。ザルの友達に申し訳ない。私は烏龍を飲むことにするよ。

 

当たり前だけど薬はすぐ効かなくて、どうしようもなくて、すごく鬱々としてきた。調べない方がいい気がするけど、私は自分と同じ人を探したい。全く同じ症状で、同じ発症時期で、同じ人のこれまでを知りたい。別に解決策を探したいわけじゃなく、自分以外にも苦しんでいる人がいるとほっとするっていう最低な理由だから、もうやめたほうがいい。

つう

18:00ごろから痛み今現在(00:36)まで両手両足が痛い。

 

夕方にバファリンを飲んだ。これは聞いたので8:00あたりまでは特に痛い痛いということはなかった

 

だけどその後からだんだん痛み出したので、エミューという軟膏を両手左足に塗った。だけど特に痛みは引かなかった。その後まだ薬を飲んでいないので、ずっと痛み出しそうなそわそわ感と左足は完全に痛い。眠るのに時間かかるやつだ。

 

 

 

健康診断で全く深刻じゃないという気持ちで相談した。もう社会人になるかもだし。そしたら、お医者さんにかかれることになりそう。

でもちょっと怖い。病名がつかなくて、変わらず薬を飲み続けるしかないとか気の問題だとか、病名を付けられんかった時を想像してしまって涙が止まらない。お金だっとそんなにないのに、また何とも言えん診断がついたら嫌だな。

 

もう自分の中で、このいたいは折り合いがついてるものだと思ってた。だから、線維筋痛症だっと診断された女性の漫画を見る度になんで泣いてしまうんだろうと思う。けど、理由はちゃんとわかってる。被害妄想が激しいから自己意識が強いから、なんか私は特別だーとか小さい頃は思えても15年もこう痛いと、ため息をつくしかない。

 

痛いなぁ

つう

23:30ごろから右足に異変を感じた。

23:50ごろに本格的に痛み出したので、薬を飲んだ

左足の裏も多少違和感を感じている

 

所感

今日は骨を伝う感じ

眠れない程度には痛い

 

原因予測

体を普段より使った(普段が全然動かない)

つうの話題をお医者さんに話した

事業計画書があまりうまく書けていない

履修を余分に取るか悩んでいる

遠慮深いうたた寝

『遠慮深いうたた寝』は友人が薦めてくれた小川洋子のエッセイだ。初め、文字を読み間違えて思慮深いうたた寝だと思っていた。うたた寝をするとき、何か思慮すべきことがあったのか、うたた寝するときでさえ作家は思慮するものなのかと思っていた。でも、少なくとも私よりかはたくさんのことを考えているのが、自分の好きな作家さんたちなのかもしれない。

 

小川洋子の本はまだ全部読めていない。でも、彼女のエッセイを最近読むのでなんとなくどういう話かは分かってきた。これをもったいないと思う時もあるし、早く読めたと嬉しいこともある。小川洋子という人は、なんとくなく理系的な人だと思っているが、エッセイを読むたびにそれは本人によって否定される。だから、ここは私が勘違いしていたということだ。正しくは、理系的ではなく、世界全体に目を向けた論理的な人だ。小説を彼女は、言葉で説明できない超越的なことを、論理的に書かなければならないと言っている(正しく引用元を探すのには、今日は疲れた)。

 

エッセイを読んでいると、同じような話はあんまりない。私が忘れているのかもしれないが、著書の話以外は大体新鮮に感じる。ちょっと前までは、彼女の言葉一つ文節一つ、内容全てに頭を垂れて拍手していたが、最近は少し頭を垂れずらくなってしまった。相も変わらず大方は好きなのだが、男女のステレオタイプと言えなくもないのぞまれた役割や、母性を語る言葉を見るとなんだかどうすればいいのかわからくなってきた。もう少し、考える時間が必要だと思う。

 

それでも、やっぱり今一番好き作家は小川洋子だ。遠慮深いうたた寝の中で一番好きな話は、フランスの小学校で彼女が話した彼女の名前である。彼女の洋子という名前の洋には広い海という意味があるが、結婚した人の名前は小さな川”小川”さんだったという話をする。日本語を知らないであろう、フランスの小学生にもこの話の面白みはわかる。この話を見た時には、やっぱり小川洋子はすげぇやという気持ちを持った。

電車の遅れ

 今日、電車が止まった。遅延はよくある。線路で異音がしたための点検、線路に野生動物がぶつかってきたため、お客様対応。でも電車が止まるのは、天気がよっぽどの悪天候か「列車がお客様と接触したか」である。今日は、後者だった。

 運転していた車が、ということはよくある。夕方のニュースを見れば大抵がそうなのだが、今日はどうも身一つで列車に飛び込んでいったらしい。飛び込んだ人にとって、今日はめでたい正月でも何でもないのかもしれないなぁと思った。祝日とは国民ではなく世界中の人がお休み出来て、なんだか浮足立つ日なのだと思っていた子供の頃と比べて、今はそうでもないことが良くわかる歳になった。人身事故の当事者となった電車の運転手は今日も働いている。今日私が並んだドーナツ屋さんも働いている。今日線路に飛び込んだニュースの人にとって、今日はどんな日だったんだろう。

 ニュースを見ていた家人は、無責任な自殺と賠償金が大変だと話始めた。確かに、あの人の責任を負う人はいるのだろうか。なぜ、線路という場所を選んだのか気になることはたくさんあるが、当事者でも何でもない私には関係ないし、考えたら今日の初夢に悪影響を与えそうなので、もう本を読んで終わることにする。